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石をみがく
こんばんは、
いま、月に一回のワークショップをさせていただいているJuneStyleStudioさんのところで、この日曜日に篆刻のワークショップを開催します。
書は紙に筆をふるうものですが、石にむかって字を彫り刻むのも、書の表現のひとつだ、といえます。
書を書くときに、筆をゆっくり動かすだけではなくて、ときに早く動かしたりひねったり叩いたり、放り投げたり、はないけれど、筆という道具は、どうも身体の動きだとか、リズムだとかを反映しやすいデバイスなのかもしれない。
そういう様々な動きをすることで、単純にボテッとしただけじゃない、それこそ「活きた」線、生きた書、になるのだとおもいます。
で、篆刻は?
篆刻は、印刀を使って、石を彫り、刻む。下書きに沿ってカリカリ彫るのもいいけど、どちらかというと下書きはガイドラインであって、あとは石任せ、印刀任せでガリガリ、ゴリゴリ彫るほうが、石が割れたり飛び散ったりしておもわぬ効果をみせることがある。
そう、例えば墨の飛沫が偶然美しい模様を描いたりするように。
こちらは参加者の方の石を準備中。
前回、下書きを作成してもらい、それに合わせた石をその場で買ってきて、ペーパーをかけてまわりのワックスを剥ぎとり、表面をざっとフラットにしたところ。

うん、なかなかいい表情をしている石じゃないかい?
高価な石ではないけれど、直感で選んだものは間違いない(と思う)
どんな作品になりましょうか?
続きは、日曜日以降のレポで・・・
ああ、今日も紙をひろげずじまい。
では、おやすみなさい。
あ、しまった、ポッキーを買うのを忘れていた、2011.11.11の日。
いま、月に一回のワークショップをさせていただいているJuneStyleStudioさんのところで、この日曜日に篆刻のワークショップを開催します。
書は紙に筆をふるうものですが、石にむかって字を彫り刻むのも、書の表現のひとつだ、といえます。
書を書くときに、筆をゆっくり動かすだけではなくて、ときに早く動かしたりひねったり叩いたり、放り投げたり、はないけれど、筆という道具は、どうも身体の動きだとか、リズムだとかを反映しやすいデバイスなのかもしれない。
そういう様々な動きをすることで、単純にボテッとしただけじゃない、それこそ「活きた」線、生きた書、になるのだとおもいます。
で、篆刻は?
篆刻は、印刀を使って、石を彫り、刻む。下書きに沿ってカリカリ彫るのもいいけど、どちらかというと下書きはガイドラインであって、あとは石任せ、印刀任せでガリガリ、ゴリゴリ彫るほうが、石が割れたり飛び散ったりしておもわぬ効果をみせることがある。
そう、例えば墨の飛沫が偶然美しい模様を描いたりするように。
こちらは参加者の方の石を準備中。
前回、下書きを作成してもらい、それに合わせた石をその場で買ってきて、ペーパーをかけてまわりのワックスを剥ぎとり、表面をざっとフラットにしたところ。

うん、なかなかいい表情をしている石じゃないかい?
高価な石ではないけれど、直感で選んだものは間違いない(と思う)
どんな作品になりましょうか?
続きは、日曜日以降のレポで・・・
ああ、今日も紙をひろげずじまい。
では、おやすみなさい。
あ、しまった、ポッキーを買うのを忘れていた、2011.11.11の日。
リメイク 想像中。
こんばんは。
お久しぶりです。
最近冷え込んできて、迂闊にも薄着して風邪などひいてしまったら、長引いてしまいそうな季節です。
皆様もご自愛ください。
さて、久しぶりの更新ですが、
今晩も、紙を広げていません。
最近、リメイクを考えている壁面があります。
実家の壁。
実家は去年の春にリフォームを行ったのですが、階段のところにおおきな白壁ができて、
「好きに飾っていいよ」
などと言われたものでつい、勝手に持ち込んでは飾らせてもらっています。
・・・今の住まいには、そんな大きな壁面がないもので・・・
そこで、王羲之の集字から、般若心経があったので臨書してみたものを、
その壁面に暫く置いておいてもらっていました。

しかし文字数が多い上に、数ヶ月を経過したので、掛替えを検討中です。
次は大きい字を一字、とかいいのではないかとおもっています。
今晩は、墨を磨って・・・そこで手が止まりました。
実際の制作は、また。
おやすみなさい。
お久しぶりです。
最近冷え込んできて、迂闊にも薄着して風邪などひいてしまったら、長引いてしまいそうな季節です。
皆様もご自愛ください。
さて、久しぶりの更新ですが、
今晩も、紙を広げていません。
最近、リメイクを考えている壁面があります。
実家の壁。
実家は去年の春にリフォームを行ったのですが、階段のところにおおきな白壁ができて、
「好きに飾っていいよ」
などと言われたものでつい、勝手に持ち込んでは飾らせてもらっています。
・・・今の住まいには、そんな大きな壁面がないもので・・・
そこで、王羲之の集字から、般若心経があったので臨書してみたものを、
その壁面に暫く置いておいてもらっていました。

しかし文字数が多い上に、数ヶ月を経過したので、掛替えを検討中です。
次は大きい字を一字、とかいいのではないかとおもっています。
今晩は、墨を磨って・・・そこで手が止まりました。
実際の制作は、また。
おやすみなさい。
トルコに晴天の霹靂
こんばんは。
23日に発生したトルコ東部の地震で、死者が270名を超えたというニュースがasahi.com で掲載されていました。(勝手にリンクごめんなさい)
身内の知人がトルコ在住なので、安否が気になる・・・
ところで、
ブログ内カテゴリに、「ニュースの一字」を追加しました。
今日のニュースの一字は、「震」
今年の日本を揺るがした、この字。

もとに意味には かみなり の意味もあるそうだ。(白川静・常用字解)
稲光がひかり、大きな音がなる。空気が震える。驚く。
のち、ふるえる という意味だけが残って、今日の用例となったらしい。

こんな流れるようではない。

線を乱暴にしたらいいというものでもない。

手が震えているだけなのか、

ニュースを一字に書いた、というのを後に思い出すときが来るのだろうか。
今日はこれで、おやすみなさい。
23日に発生したトルコ東部の地震で、死者が270名を超えたというニュースがasahi.com で掲載されていました。(勝手にリンクごめんなさい)
身内の知人がトルコ在住なので、安否が気になる・・・
ところで、
ブログ内カテゴリに、「ニュースの一字」を追加しました。
今日のニュースの一字は、「震」
今年の日本を揺るがした、この字。

もとに意味には かみなり の意味もあるそうだ。(白川静・常用字解)
稲光がひかり、大きな音がなる。空気が震える。驚く。
のち、ふるえる という意味だけが残って、今日の用例となったらしい。

こんな流れるようではない。

線を乱暴にしたらいいというものでもない。

手が震えているだけなのか、

ニュースを一字に書いた、というのを後に思い出すときが来るのだろうか。
今日はこれで、おやすみなさい。
プライベートレッスン
こんばんは、
今日の写真は、
土曜日に、させていただいている個人宅でのプライベートレッスンの風景です。
毎度、ここのお宅では、素敵なお軸が掛けられています。
今日は漢詩のお軸ですね。
とても良い拓本なのですが、写真は小サイズにて自主規制・・・

1D 50mm 1.8II
このままワークショップに入るのも勿体無いので、
半切の紙にどんなリズムで書いてゆくのか、
初見の拓本ですが、無謀にも臨書してみましょう。

1D 50mm 1.8II
・・・無謀すぎっす。
字の粒が殆ど同じ、かつ、墨の濃淡が一定すぎ。
流麗に書こうとすれば、もっと練習せねばなるまい。
さて、隷書を練習した4回シリーズの、今日はまとめ。
今まで練習した隷書の流れ、優美なライン、扁平でゆったりしたプロポーションが捉えられるでしょうか。
今日の写真は、
土曜日に、させていただいている個人宅でのプライベートレッスンの風景です。
毎度、ここのお宅では、素敵なお軸が掛けられています。
今日は漢詩のお軸ですね。
とても良い拓本なのですが、写真は小サイズにて自主規制・・・

1D 50mm 1.8II
このままワークショップに入るのも勿体無いので、
半切の紙にどんなリズムで書いてゆくのか、
初見の拓本ですが、無謀にも臨書してみましょう。

1D 50mm 1.8II
・・・無謀すぎっす。
字の粒が殆ど同じ、かつ、墨の濃淡が一定すぎ。
流麗に書こうとすれば、もっと練習せねばなるまい。
さて、隷書を練習した4回シリーズの、今日はまとめ。
今まで練習した隷書の流れ、優美なライン、扁平でゆったりしたプロポーションが捉えられるでしょうか。
夜の制作メモ
おはようございます。
雨降りの晩、
ムクリと起きだして、墨を磨る。

・・・なんていうと文人ぽくていいんですが、
要は落ち着かなくて手持ち無沙汰に取るものとりあえず硯と墨をとった次第。
音楽と聞いてもwebブラウズをしても落ち着かない、てことは、身体を動かせば落ち着くかも。
半切(はんせつ)の紙を1/3に切ったものが少し手元にあったので、糊で継ぎます。
さて、継ぎ終わったので、ready to go

心をからっぽにしたい、したい。

心の空虚を想像すればするほど、絡まった思考の糸が渦を巻く。
最近書いている、「空」という字。
くう、からっぽにすること、軽くすることをイメージする。
なにも考えずに書くのは意外に難しい。

継いだ7枚の紙が尽きる頃(て、たったの7枚かよww

ようやく筆がなじんできた。

最後のこのひとを書いたときは、
何も考えなかった。
雨降りの晩、
ムクリと起きだして、墨を磨る。

・・・なんていうと文人ぽくていいんですが、
要は落ち着かなくて手持ち無沙汰に取るものとりあえず硯と墨をとった次第。
音楽と聞いてもwebブラウズをしても落ち着かない、てことは、身体を動かせば落ち着くかも。
半切(はんせつ)の紙を1/3に切ったものが少し手元にあったので、糊で継ぎます。
さて、継ぎ終わったので、ready to go

心をからっぽにしたい、したい。

心の空虚を想像すればするほど、絡まった思考の糸が渦を巻く。
最近書いている、「空」という字。
くう、からっぽにすること、軽くすることをイメージする。
なにも考えずに書くのは意外に難しい。

継いだ7枚の紙が尽きる頃(て、たったの7枚かよww

ようやく筆がなじんできた。

最後のこのひとを書いたときは、
何も考えなかった。
落ち着かない夜明けには、筆を触ると落ち着くかどうか
おはようございます。
5時にムクリと起きだして、
落ち着かないなか、熱い玄米茶を入れる。
平時の仕事は、忙しいものの、やるべきことをこなしてはいる、
ただこの落ち着かない感覚は一体・・・何?
結構、ストレスに弱い自分なので、そこは受け入れるしかない(苦笑)
そういうとき、どうするか。
「状態のいいときだけではなくて、状態の悪いときにむしろ、筆をもって表現すること」
を、とある先生から学んだ。
「心に迷いがある時、包丁を研ぐ」と、異国で頑張っている料理人の友人が言っていた。
「そんなときは、筆を持ってみたら?」とアドバイスをくれた。

1D 50mm 1.8II
吐き出すように、ゆっくり書くと、
少し気持ちが落ち着いた。
何かに集中すること、
無心になること。
僕の「禅」は、書くこと、だと思う。
5時にムクリと起きだして、
落ち着かないなか、熱い玄米茶を入れる。
平時の仕事は、忙しいものの、やるべきことをこなしてはいる、
ただこの落ち着かない感覚は一体・・・何?
結構、ストレスに弱い自分なので、そこは受け入れるしかない(苦笑)
そういうとき、どうするか。
「状態のいいときだけではなくて、状態の悪いときにむしろ、筆をもって表現すること」
を、とある先生から学んだ。
「心に迷いがある時、包丁を研ぐ」と、異国で頑張っている料理人の友人が言っていた。
「そんなときは、筆を持ってみたら?」とアドバイスをくれた。

1D 50mm 1.8II
吐き出すように、ゆっくり書くと、
少し気持ちが落ち着いた。
何かに集中すること、
無心になること。
僕の「禅」は、書くこと、だと思う。
テーマ : 思ったこと・感じたこと - ジャンル : 日記
夜に文字の雨が降る
先日、京都市美術館にて開催されていた墨人展に行ったときのこと。
作品はどれも迫力のある墨の作品ばかりで、
一見して、「うん、素晴らしい眺めだ。」という感想になるのですが、
どちらかというと、
(敢えて言わせていただきますが)素人的には、
程度の差こそあれ、
どれも同じような模様の展開に見えてしまって、
結局サーっとスキャンするように眺めるだけで失礼してしまったのですが、
それよりも重要だったのは、
会の指導者である森田子龍氏の
臨書風景が映像で流れていて、
それは、ひたすら半紙に、臨書を次々書いている
(そして、側の人が紙を差し出し、書き終わった紙を片付けている・・・)
という映像だったのですが、
書いているところを延々と流れているだけで、
マニアや、熱心な書人で無い限り、
傍目には、
大人の習字がどないしたん?
というようなものなんです。
しかし、僕的には、これがかなりグッときてしまった。
いや、はっきり言うと、
ぐっさり釘付けになって、食い入るように画面を見つめてしまっていました。
さすが、大家の臨書は違う。
闊達な筆さばき、緩急の絶妙な間合い、リズム。
普段からリズムだとか踊るようななんだとか偉そうに言っている僕ですが、
自分なんてまだヨチヨチ歩き程度じゃないか!
と思った次第。
筆が自分の身体の延長というか一部になるように、なんて、まだまだ先の話だな。
一日中書いて、書いて、という日を毎日続けて、こうなっていくのだな。
というわけで何故かスーパーで大昔に買った機械漉きの半紙がたくさんあったので、
書に臨みます。

1D 17-35L
部屋、狭っ!

1D 17-35L
by the way, 狭くても、17-35mmのズームならかなり入りますね。
では、また。
作品はどれも迫力のある墨の作品ばかりで、
一見して、「うん、素晴らしい眺めだ。」という感想になるのですが、
どちらかというと、
(敢えて言わせていただきますが)素人的には、
どれも同じような模様の展開に見えてしまって、
結局サーっとスキャンするように眺めるだけで失礼してしまったのですが、
それよりも重要だったのは、
会の指導者である森田子龍氏の
臨書風景が映像で流れていて、
それは、ひたすら半紙に、臨書を次々書いている
(そして、側の人が紙を差し出し、書き終わった紙を片付けている・・・)
という映像だったのですが、
書いているところを延々と流れているだけで、
マニアや、熱心な書人で無い限り、
傍目には、
大人の習字がどないしたん?
というようなものなんです。
しかし、僕的には、これがかなりグッときてしまった。
いや、はっきり言うと、
ぐっさり釘付けになって、食い入るように画面を見つめてしまっていました。
さすが、大家の臨書は違う。
闊達な筆さばき、緩急の絶妙な間合い、リズム。
普段からリズムだとか踊るようななんだとか偉そうに言っている僕ですが、
自分なんてまだヨチヨチ歩き程度じゃないか!
と思った次第。
筆が自分の身体の延長というか一部になるように、なんて、まだまだ先の話だな。
一日中書いて、書いて、という日を毎日続けて、こうなっていくのだな。
というわけで何故かスーパーで大昔に買った機械漉きの半紙がたくさんあったので、
書に臨みます。

1D 17-35L
部屋、狭っ!

1D 17-35L
by the way, 狭くても、17-35mmのズームならかなり入りますね。
では、また。
落ち着かない夜
おはようございます。
眠れない夜、みなさんはどのように過ごされますか?
例えば、温かいココアを飲む、ウィスキーを引っ掛ける、本を読む・・・など。
最近、心が鎮まらないと感じることが多いです。
さて、僕ならどうするか。
そういうときは臨書。
墨を磨り、真っ白な紙に向かい、筆をふるう。
書きたいこと、ではなくて、名品を鑑賞し、その美しさに触れ、流れに呼応し、心が真っ白になるまで、書く。
・・・のが本ブログの趣旨ですが・・・
色を塗りたくりたい時もあるのです。
例えば今日。

2週間ほど前、京都市美術館にナショナルギャラリー展を観に行ってきました。
ゴッホ、セザンヌ、モネ、そしてスーラ。
そこではほんものの持つ美しさに圧倒されただけでなく、絵画展で今まで感じることのなかった、絵の具の存在感でした。
幾重にも塗り重ねられた絵の具の重みを、その存在を感じたのです。
小学校の時に絵画教室に通っていたとき、いくつか油彩を描いたことはありましたが、それは学校で習っていた水彩の延長でしか、ありませんでした。
この重層感を、追体験したい。
そんなわけで、油彩の習作です。
しばらく、色を塗りたくり、ペンチングオイルの匂いにうもれていました。
眠れない夜、みなさんはどのように過ごされますか?
例えば、温かいココアを飲む、ウィスキーを引っ掛ける、本を読む・・・など。
最近、心が鎮まらないと感じることが多いです。
さて、僕ならどうするか。
そういうときは臨書。
墨を磨り、真っ白な紙に向かい、筆をふるう。
書きたいこと、ではなくて、名品を鑑賞し、その美しさに触れ、流れに呼応し、心が真っ白になるまで、書く。
・・・のが本ブログの趣旨ですが・・・
色を塗りたくりたい時もあるのです。
例えば今日。

2週間ほど前、京都市美術館にナショナルギャラリー展を観に行ってきました。
ゴッホ、セザンヌ、モネ、そしてスーラ。
そこではほんものの持つ美しさに圧倒されただけでなく、絵画展で今まで感じることのなかった、絵の具の存在感でした。
幾重にも塗り重ねられた絵の具の重みを、その存在を感じたのです。
小学校の時に絵画教室に通っていたとき、いくつか油彩を描いたことはありましたが、それは学校で習っていた水彩の延長でしか、ありませんでした。
この重層感を、追体験したい。
そんなわけで、油彩の習作です。
しばらく、色を塗りたくり、ペンチングオイルの匂いにうもれていました。
テーマ : 思ったこと・感じたこと - ジャンル : 日記
twitterの転送をやめました。
こんばんは。
ブログに直接書きこむのはかなりご無沙汰しています。
この本文を読んでくださっている方へ、貴重なお時間を割いていただいて、ありがとうございます。
ここからしばらく独白が続きます。
さて。

<臨書 110927>
ブログという形態をどうするか、考えあぐねていました。
mixiのように、あのひと、読んでくれているかな、こう書いたらこういう反応がでるかなと、特定の誰かやコミュニティを思い浮かべて書くことに対して、ブログのようなメディアは、個人的な事柄を、特定しない相手に対して書く。これは、果たしてコミュニケーションなのか。
それは独白ではないのか。
あるいはコミュニケーション目的であればtwitterやfacebookで、「いま」を共有したりリンクを共有したりすることで十分ではないのか。
といろいろ考えてtwitterのつぶやきを転送する対応をしばらくとっていましたが、今日限りでtwitterの転送をやめます。理由は、「ダブっても意味がない」「美しくない」の2点に尽きます。
では、ブログは使わないのか、どうか。
僕はこのブログを、しばらく「書」の活動記録を中心としたライフログとして記録に使っていこうと思います。
もとより、宣伝めいた物は書いていませんがもっと内面的なことを書こう。人目を気にせず、ただ、書こう。
書を書いた日は画像をUPしよう、上手く書けた日はもとより、下手くそな日も、字のかわりに絵を書いた日も。いやいや、当面は書の写真のみにとどめます。
今日は久しぶりに臨書をしました。
久しぶりなので敢えて記しておけば、臨書は画家でいうところのデッサン、ピアノでいうところのバイエルむしろハノン?のような存在です。基礎トレ、計算ドリル。
生活と仕事に追われて、を口実に、このドリルをだいぶサボっていました、と告白します。
それでも臨書をテーマにしたワークショップを開講し、子供向けに書の教室を企画したりしはじめているので、ここで自分が勉強していないなんていうことがあってはならない。

<ワークショップ・臨書講座・20110925>
少しづつ、乾いた泉に水を呼び戻すように書く。
身体の奥に眠っていた、筆のリズムを取り戻す。
少し、すっきりしました。

ブログに直接書きこむのはかなりご無沙汰しています。
この本文を読んでくださっている方へ、貴重なお時間を割いていただいて、ありがとうございます。
ここからしばらく独白が続きます。
さて。

<臨書 110927>
ブログという形態をどうするか、考えあぐねていました。
mixiのように、あのひと、読んでくれているかな、こう書いたらこういう反応がでるかなと、特定の誰かやコミュニティを思い浮かべて書くことに対して、ブログのようなメディアは、個人的な事柄を、特定しない相手に対して書く。これは、果たしてコミュニケーションなのか。
それは独白ではないのか。
あるいはコミュニケーション目的であればtwitterやfacebookで、「いま」を共有したりリンクを共有したりすることで十分ではないのか。
といろいろ考えてtwitterのつぶやきを転送する対応をしばらくとっていましたが、今日限りでtwitterの転送をやめます。理由は、「ダブっても意味がない」「美しくない」の2点に尽きます。
では、ブログは使わないのか、どうか。
僕はこのブログを、しばらく「書」の活動記録を中心としたライフログとして記録に使っていこうと思います。
もとより、宣伝めいた物は書いていませんがもっと内面的なことを書こう。人目を気にせず、ただ、書こう。
書を書いた日は画像をUPしよう、上手く書けた日はもとより、下手くそな日も、字のかわりに絵を書いた日も。いやいや、当面は書の写真のみにとどめます。
今日は久しぶりに臨書をしました。
久しぶりなので敢えて記しておけば、臨書は画家でいうところのデッサン、ピアノでいうところのバイエルむしろハノン?のような存在です。基礎トレ、計算ドリル。
生活と仕事に追われて、を口実に、このドリルをだいぶサボっていました、と告白します。
それでも臨書をテーマにしたワークショップを開講し、子供向けに書の教室を企画したりしはじめているので、ここで自分が勉強していないなんていうことがあってはならない。

<ワークショップ・臨書講座・20110925>
少しづつ、乾いた泉に水を呼び戻すように書く。
身体の奥に眠っていた、筆のリズムを取り戻す。
少し、すっきりしました。

テーマ : 思ったこと・感じたこと - ジャンル : 日記







